Vol.3
版画との出会いがもたらした安息の地
石村さん親子
今回訪れたのは新居浜市の石村さん。
息子の嘉成さんは2歳の時、自閉症による発達障害と判明。その後は家族一丸となって療育に励み、父親の和徳さんは亡き奥さんの「人に大事にしてもらえる子、人に好かれる子になってもらいたい」という想いを胸に息子さんのサポートを務めてきました。やがて高校3年の時に授業の一環で始めた版画と油絵で、持ち前の才能が開花。動物や昆虫を題材にした作品が国内外のコンクールで次々に受賞、今や個展や展覧会を開催すれば美術館の来場者記録を塗り替えるほどの人気を博しています。
- パパPROFILE
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- 石村さん
- 58歳、会社役員、版画家・石村嘉成さんのマネージャーにしてプロデューサー
- 一人息子・嘉成さん(25歳)のパパ
- 石村嘉成オフィシャルサイト
https://i-yoshinari.jp/(外部リンク)
(1) 療育を通じて社会性を身に着ける
石村さんは自分のことをどういう父親だと思いますか?
「自分で言うのもなんですが、みんなから石村さんよう頑張ってますねというお褒めの言葉をよく頂くんですよ。でも、よその子を育て上げたのならともかく、自分の子どもですからね。自分としては当然なんですよ。あんときもう少し息子にやっておけばとか後悔するのが嫌だから、その時その時にできうる精一杯を出してきたつもりです。あと、昭和の時代は知らんおじさんに怒られたり、常に誰かに見られるなかで、自然と社会性が育っていったと思うんですよ。今の子育ては親だけだし、しかも子どもをかばうだけでしょ。なんかあったら相手が悪い、うちの子がそんなことするはずがない。だからなかなか社会性を育てにくい。講演に行って発達障害の療育の話をするんですけど、普通の子育ても、子どもに向き合うという面では基本は一緒です」
療育は大変だったのではないですか?
「子供がすごくちっちゃい頃は、自閉症はとにかく関わってあげなさい、コミュニケーションを取りなさい、遊んであげなさい、嫌がるようなことはしないという指導方法が大多数でした。いわゆる情緒の問題で、育て方の問題だからってことなんですけど、その延長線上では良くなると思えんかったんですよ。なぜかって言うと、うちの子、別に私もずっと家にいるし、母親もずっと見てる。一人ぼっちにされる環境ではないにもかかわらず、問題行動を起こしてしまう。そこで彼の可能性を求め、日本各地にあるいろんな窓口を訪ねましたよ」
それが地元の療育センターだったというわけですね。
「先生自らが作り上げた療育方法は当時言われていたものとまったく違っていて、むしろ逆ですね。自閉症の子どもは泣いたり暴れたりパニックがひどいんですよ。不安なことや自分の嫌なことに対して暴れることで表現してくるから、親としてはなかなか理解できない。先生いわく、子どもの機嫌をうかがいながら暮らしていたら家庭の平静が保てないどころか、家の中がその子に支配されてしまう。周りに合わせられる子どもに育てなくてはいけないと。正しい知識を持って行う、早期療育の重要性を先生から学びました」
小学校入学前には松山市にある療育センターも通所されてますよね。
「入学年の1月くらいから松山にアパートを借りて毎日行ってました。なんでそこに行きだしたかと言うたら発語がなかったんですよ。当療育センターは独自の発語プログラムを持っていて、90%以上の成功率だったんですよ。母親はこの子にとって一番適切な療育方法はないかと、ずーっとアンテナ張って探してましたから。発達障害の子どもにとって、言葉がしゃべれなくとも、人の話を聞けるというのが社会性の第一歩なんですよ。それには課題学習を通じて、学ばせるのが一番ということで、母親が隣について毎日何時間もやっていました。やっぱり厳しくするところは厳しくして、とにかく自分でやれるように。一生懸命やってきたのは、生活の自立に向けたものでしたね」
(2) 何事もプラス思考で
子育てに関して、道が開けてきたのはいつ頃ですか?
「まぁ、療育は3歩進んで2歩下がり、2歩進んで3歩下がりの繰り返しですからね。昨日までできたことが今日になったら全然できなくて、がっかりすることが多いですから。そんな開けてきたみたいな、光が差してきたみたいな、そんな瞬間は…」
石村さんにとって子育ては戦争みたいなものですか?
「いや、いろんなことを楽しんだところも半分はあると思いますよ。とくにウチは父子家庭なんでね、息子は私しか頼るとこがないわけですよ。自分としては応えないかんし、応える義務がある。その応えるということが喜びだったりするわけですよ。だから戦争と言うよりは、まぁ、半分はやらなければいけないことで、あとの半分は楽しみですね」
何事もプラス思考にできるのは素晴らしいですね。
「楽しかったですよ。高校もみんなと同じところに行かせたくて、中学生の時は横について勉強させたんですよ。なんとか県立の高校に受かっても、一人歩きはさせたことがなかったから交通ルールもわかってない。だから高校の3年間は片道4キロの通学路の行き帰りを私が自転車で並走しました。距離にして16キロ、2時間近く自転車に乗ってました。楽しかったですよ。どうせ行くならカッコええ自転車でと、気に入ったのを買ったりして。天気のいい日は気持ちいい。雨が降ったらいつもより早く出ないかんし、合羽着とったら横が見にくいよねとか、勉強以外でもいろんな学びがあるでしょ。それを本来なら思春期であるはずの息子と毎日一緒に、季節を感じながら走ることができたんですよ。私が引き離すと、必死な顔をしてついてくる。そういうのってかわいいじゃないですか。ここに来たらあの信号を見るんぞとか、ここを走るんぞとか、いろんなことをわりと楽しんでやってきた側面もありますね。発達障害の療育ってつらくてしんどいことばっかりなんで、そのなかでいかに楽しみを見出していくか(笑)」
(3) 人に認められる喜び
嘉成さんへの接し方で常に心がけていることは?
「まぁ、月並みなことなんだけど、人に迷惑をかけない。感謝の気持ちは必ず相手の目を見て伝えるというのはちっちゃい時から言ってました。あと、誰でもそうなんだけど、人から認められるとか、人から評価されるとか、一番大事じゃないですか。生きていくうえで一番のモチベーションですよ。それをとにかく味わわせてやりたい」
それが版画であり絵画だったわけですね。
「みんなからも大事にされてなんとなくボーッしたままやってこれたのが、高校3年の時に版画と出会って、コンクールに出したら入選してね。愛媛県美術館に展示されて。学校の文化祭に出したら、みんなから、嘉くんスゴいと、初めて人に評価される、人に認められる喜びを知ったと思うんですよ。それまでは何にもできんことを前提に育ってきたわけですから、たぶん彼はそれがうれしかったようで、できるだけみんなをもてなしたいという気持ちになったんじゃないですかね。自閉症の子ってもともと人に興味がなくて、うちの子だったら動物とか昆虫にこだわっていたり。それが個展とかでどこの美術館でも来場者記録を作るようになって、みなさんからあたたかい言葉を頂いたらうれしいでしょ。それで息子は調子に乗って、嘉くんスゴいと言われるたびにますます調子に乗って。人間、調子に乗るって大事なことじゃないですか。それが対人関係においてもプラスに働きだして、性格が変わったとまでは言わんけど、それくらい変わってきたなというのは感じます。さっきの道が開けたという質問の答えは、息子が初めて人に認められる喜びを知った瞬間じゃないですかね」
嘉成さんの作品に生き物が多い理由は?
「もともと動物と昆虫が大好きなんですよ。絵が好きなんじゃなくて、それこそ図鑑をぼろぼろになるまで見てたわけですよ。泣き叫んだりパニックを起こした後も、図鑑や動物のビデオを食い入るように見よったんですよ。絵を描いたり版画を作るというのは、動物や昆虫が大好きというのを表現する方法を得たことなんですよ。口でうまく伝えられなくても動物のカッコええとこ、たくましいところを作品に表現しているのだろうと理解しています。私は絵に詳しくはないけど、観察半分、表現力半分じゃないですかね。しかも愛情を持って、人間から見た動物じゃなく、同じ仲間として観察してると思っています」
だからやさしいタッチの作品が多いんでしょうね。目はどのタイミングで入れているんですか?
「一番最後です。まぁ、最後に命を吹き込むんでしょうねぇ。でも、私にとって絵は余分なものなんですよ。落ち着いていられることが大事で、どんだけあの子が大変だったか。こんなに穏やかな生活ができるようになるとは思わんかったので、それだけで十分です」
作品から自分宛のメッセージを感じることはありますか?
「息子は常にね、私の意見や考えを意識して生活しています。お父さんに喜んでほしいというのもあるだろうし、怒られたくないというのもあるだろうし、まぁ両方ですね。すべてにおいてお父さんの手の中にあると思とんじゃないですかね」
(4) 真正面から向き合うことが大事
子育てに悩んでいるお父さんにアドバイスするなら?
「やっぱりどう向き合うか、逃げずに真正面から向き合えるか。たとえば、母親がいるかいないかで全然違ってくると思うんですよ。どうしてもお母さんがいる場合は依存しがちですけど、仕事が忙しいというのは理由にならんと思うんですよ。そういう意味においてもいかに真正面から向き合えるか、子どもを常に自分でコントロールするか。と言っても変な意味じゃないですよ。最初に言ったように、今は地域で子どもを育てる時代ではないですから、昔よりも親の役割が大きくなっているんじゃないですかね」
嘉成さんから言われてうれしかった言葉は?
「父ちゃん死んだらどないすんぞ?と言うたら“生きていけない”。親としては自分が亡き後のことを考えるじゃないですか。とくに障がい者の親は。でも、子どもが生きていけるようにしなくてはいけない。(頼られている意味では)嬉しかった言葉ですね」
それはうれしくもあり、使命というか。
「はい。今してることは常に自分で発信も段取りも、プロデュースもしていかなあかん。いろんなことをしたうえで成立するものなんですよ。そういうことを持続して、息子の活動を継続させたいとは思いますね」
(5) 嘉成さんの一言
自分の作品についてなんと言われたらうれしいですか?
「作品を見に来てくれた人が笑顔になったり、元気になって帰ってほしい。そういう気持ちを忘れず、がんばっていきたいと思います」
彫ってる時の嘉成さんは、ええ顔してますね
「ちょっといい感じがしています。めっちゃ楽しい!」
お父さんはどんな人ですか?
「厳しいけどやさしい人です」
ありがとうございました。
話だけ聞くと和徳さんは人生のすべてを嘉成さんに捧げているような印象を持たれるかもしれせん。けれども、クルマやオーディオはマニアの領域で、時には親子で音楽を聴くこともあるそうです。
オーディオルームにあるスピーカーの上には奥さんの写真、CDラックには奥さんが大好きだったという竹内まりやのボックスセット、ギャラリーには嘉成さん作『母の肖像』が飾られています。そして、和徳さんの「嘉成の作品で動物の親子や家族を描いたものは、自分と母親を表しているんですよ。母親は亡くなったけど、見守ってくれているという意味で」という言葉からは、お母様の偉大さを思い知らされました。嘉成さんはちょっと難しい質問が苦手なようです。和徳さんは辛抱強く質問の意味を伝えた後で「意思疎通が難しいでしょ。それでも最近は人前に出る機会が増えてきたから、どう答えたらいいかを考えられるようになった。それはある意味成長かな」と、目を細めていました。
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